ガッツポーズ
1964年(昭和39年)私が生まれた年ですが、東京オリンピックが開催されました。このオリンピックで日本古来の格闘技「柔道」と言う競技が初めて正式種目として採用されました。当時の日本人の喜びは大変なものだったのではないでしょうか。地元東京で開催されるオリンピック、しかも柔道が正式種目になるなんで、世界に日本の柔道を披露し普及を働きかける絶好のチャンスです。
時は高度成長の真っ只中、経済白書に「もはや戦後ではない」と評されたのが昭和31年ですから、欧米列強の先進国に経済では肩を並べ、スポーツの世界でも大躍進を計りアジアでの存在感を確固たるものにしたい、という野心に満ち溢れた勢いのある時代だったと思います。今の中国とダブりますね。
日本の期待を背負った柔道人は、すべての階級で金メダルが期待されていました。世界選手権でも海外の選手を圧倒していたので、当然ですよね。しかし、ただひとつの階級だけ金メダルは無理と言われていた階級があったのです。それは無差別級です。当時はこの無差別級が一番重い階級として定着していて、この階級こそ日本が何としてでも金メダルを取らなければならない、まさに想いのこもった階級だったのです。
無差別級代表の神永選手は相当のプレッシャーの中で、相手のオランダ人選手と決勝戦を戦っていました。そのオランダ人選手の名はアントン・ヘーシンク、男性の方である程度の年齢の方は知っていると思います。9分22秒、ヘーシンクは袈裟固で見事一本勝ちを収め、これで日本柔道の全階級制覇はなくなりました。
ヘーシンクはオリンピックに参加する前から練習の基盤を日本に置き、道上伯と言う名伯楽から柔道を習っていたそうです。柔よく剛を制すの日本の柔道が白人の大男の力の前に崩れ去った瞬間でした。かなり落胆したでしょうね。その日はちょうど女子バレーボールの決勝もあって、東京体育館では東洋の魔女で沸きかえっていたようです。しかし、しかし次の瞬間、我々日本人はヘーシンクの行動に驚愕します。
勝利の瞬間、歓喜のあまり試合場の畳の中へ入ろうとしたオランダ人記者をヘーシンクが制して追い払い、何事もなかったかのように審判の勝ち名乗りを受け、試合場を去ったのです。この行為は「礼に始まり礼に終わる」という柔道の精神を体現したものとして、現在でも高く評価されています。ヘーシンクは柔道と言う競技だけでなく、「礼」と言う日本人の心をも掴み取ったのです。決してガッツポーズなどしません。
日本古来の格闘技は柔道にしても、相撲にしても勝者は必ず勝ち名乗りを受け、特別にアピールしなくても勝者を称えるものです。また、負けた相手に対しても「礼」尽くす思いやりがあります。勝てばいい、と言うものではなく、礼を尽くし自身もまた身を引き締め再び精進する、と言うものです。
先場所完全復活を果たした朝青龍の土俵上でのガッツポーズが問題になっています。すべての外国人がヘーシンクのように日本の精神まで学ぶと思ったら大間違いのようです。すべてを勝ち負けだけで判断すのではなく、人間鍛錬の場と考えるのが日本の格闘技です。ただ、最近は日本の女子の柔道の選手でもオリンピックで金メダルを取ると大声でガッツポーズをしている姿を見かけました。今の日本人には朝青龍のことはをとやかく言う資格はないように思います。
ヘーシンクの話には後日談があります。当時の日本代表監督・松本安市は、ヘーシンクの日本での恩師にあたります。ヘーシンクが優勝した後、松本氏の傍に駆寄って最初に発した言葉は「先生、すみません」だったそうです。またヘーシンクは、現在でも自身が獲得した金メダルを「日本の四つ目の金メダル」と語っています。泣かせますね~
何事もその本質を理解することは大切です。スポーツも投資も
スローマネーが一番ですね http://slow-money.com
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コメント
いつも参考にさせていただいています。
特に投資への考え方やスタンスは勉強になり、また励みにもさせて頂いております。
今回も日本人としてのアイデンティティをもう一度考えさせられました。
私も投資を始めて一年になりますが、30%を超える含み損にメゲテしまいそうになります。
しかし、時間を味方につけるには焦っていてもしかたありませんよね。「ゆっくり投資」を心がけていきたいと思います。
投稿: 投資初心者 | 2009年2月 6日 (金) 16時26分
コメントありがとうございます
フランスのアランと言う哲学者の言葉です。
「悲観は気分、楽観は意志」だそうです。気長に行きましょう。
これからもよろしくお願いいたします。
投稿: さすらい金融マン | 2009年2月 8日 (日) 11時43分